炸裂する意志の躍動

 

 

 

戸塚さんが2017年9月17日付の伝打伝助で「炸裂する意志の躍動」と題したブログを投稿した。

 

"炸裂する意志の躍動"は今年のソロ曲『Dolphin』の前身となったもの。アイドル誌の連載ひとつごとや、この伝打伝助、アルバム『A.B.C-Z 5 PerformerZ』特典のラジオ音源他雑誌各紙でも度々発せられていた言葉。これまでの発言でも、この"炸裂する意志の躍動"が指す意味は様々だったけど、今回のブログでは戸塚さんの幼少期を回顧した上で、自分の将来の展望を語ったものだった。

 

戸塚さんのことを疑似恋愛・リア恋の対象として見てないという話はここ数週間何度となくツイートしてきたけれど、このブログを読んでも改めてそう思った。戸塚さんは私にとって理想の人間像。この1年ちょっと戸塚さんのようになりたくて追いかけていたけれど、戸塚さんはほんとにエネルギーが有り余ってる人で。追いかけても追いかけてもどんどん先を歩いて行く。まぁそれで良いのかなぁ、ずっとずっと憧れの存在でいて欲しいと思う。

このブログを読んで思ったことがあったから、私自身がA.B.C-Zを追いかけるのを制御しなきゃな〜と思ってる私生活を含め、エネルギーに余裕があるうちに私なりの"炸裂する意志の躍動"を残しておきたい。 

 

幼少期の私の周りには文房具と本が溢れていた。共働き・離婚・再婚・10個下の弟・中学校受験、中学入学までの私に母が課してきたことすべてに言い訳するようにそれらは与えられた。3つ下の妹と違い主張しない子どもだった。自信がなくて何をやるにも先生と一緒でないとできない子どもだった。保育園や小学校、学童にいる間は先生の膝の上で生活発表会、先生の手を繋いで朝のスピーチをするような子どもだった。そんな私でも家に帰ると"お姉ちゃん"である必要があった。妹は手がかかる、母は私に関わる時間の言い訳に本や新しい文房具を買い与えた。自信のない私には見合わない文房具、だけどいつでも新しい良いものを持てることは優越感もあったのかもしれない。戸塚さんの話に比べると、当時私の手元にあった文房具や本は私にとって価値のないものだった。そんなに多くの新しいものが必要だったとは今も思えない。それらは私にとって1人の時間をつぶす道具だった。

愛はお金では代えられない。代えられないのに、裕福に見えてるが故に満たされてると思われがちである。ここ1年のアイランドでひとり親であるキャストのエピソードが度々問題とされる。私は愛はお金では代えられないことを知ってるから、ひとり親でも貧困の渦中にあっても幸せな家庭環境は作れると思ってる、独り言。

本を与えられたから基本的な語彙は身についた。本と文房具というお金で時間と愛をごまかそうとした母に反抗してか、こんな言葉遣いが身についた。私が読んで考えて書けるのは、自分なりに苦節した日々があったからだと思ってる。私が私であるからこその表現。自分の周りで起きてることを考えて、文章に起こして整理して、自分で自分との折り合いをつけてきたのが私。私は結局私しか信頼してないから、私が私である所以である今の表現の形で自己満足している。だからこれは私のテリトリーだと思ってる、私が逃げられる場所、。

話が逸れた。母にそんな扱いをされても母と妹しか血縁関係のある家族はいない中で、私は母の顔色を伺った。それなりの成績で、それなりにこなすのなんて母に嫌な思いさせないため。絵は小学生の時に2年くらい習ってたからそれを思い出して怒られない絵、入賞くらいには引っかかる絵を描くだけ。もともとは絵を描くことが好きだったけど、他人の求めるものに合わせることに慣れちゃって"自由に描く"っていうのは今1番難しい課題かもなぁ。だから戸塚さんが、やるやらないかは別として"形のないものを絵にしてみたい"と発言してるのはすごく羨ましいなと思う。

 

 親や家族にこれだけ不信感を抱いてたら自分は結婚しなくていいや、子どもはいらないと思う人も多いと思うんだけど私は逆で。自分がもらえなかったもの全部、子どもにあげたいな〜と思う。

ピアノが習いたかったのに習わせてもらえなかったからピアノはやらせたいし、ダンスも続けたかったのに言い出せなかったからやらせたい。当時は価値のないものだった本や文房具も、今は自己防衛の道具になってるから本と文房具も十分に与えたい。

でもそれだけじゃ足りなくって、A.B.C-Zを応援していて舞台をたくさん観て、より多く知識を持ってた方がそれらを楽しめると日々感じてる。私自身勉強することは好きではないけれど、もっと多くの知識や創造・想像する力があればなぁと感じてる。美術でも音楽でも歴史でも何でもいいけど何かに精通してると良いなぁと思うし、それらって文化だな〜と思う。私自身が気付いた時にはもう足りないと感じていたから、それらを培うあれこれも観せたいし伝えたい。

生きるエネルギーが足りてない私にとって、自分が好きな舞台を楽しむための知識や文化をより多く知りたい!と思うことがひとつの原動力になってる。好きなものを楽しむための勉強って楽しいんだよな〜。

エゴが甚だしい私だから、自分の子どもを授かったらという次元でなく多くの子どもに、自分の人生を楽しむための勉強をしてほしいな〜と思う。知識基盤社会と言われてきて、これからは今まで以上に知識があることが大前提で重要になる。だけど受験勉強のための勉強、将来こんなの何の役に立つの?と疑問を抱いたままガリガリ知識をつけてもどうしようもないのかな〜という気がする。

私の専攻である"社会科"は私立の高校や大学を受験する者にとったら、さっさと切り捨てるべき教科なのかもしれない。だけど歴史にはじまり地理や公民、幅広く学ぶ社会科は好きなものを楽しむためには何かしら関わりある学びなんだと私は考えてる。スポーツだってファッションだって歴史があるし地理が関係する。それらがどう社会を回してるのかってことは公民の一環なんじゃないのかな〜。

何かに興味を持つってことは社会に(社会科に)興味を持つことと関係があるんでは?と私は気づいた。だから私は教採を受ける踏ん切りをつけた。今を新しく拓くことと同じくらい、過去を繋いでくることも大切だとA.B.C-Zが教えてくれたので。何も楽しくない人じゃなくて、何かは楽しい人が増えると良いな〜と思うし。

 

戸塚さんの所属するジャニーズ事務所はSHOCKや滝沢歌舞伎、PLAYZONE、少年たち等々多くのショービジネスを抱えている。PLAYZONEが終わってしまってもなお語り継がれるように、1つ1つの舞台に歴史や物語があるんだよな〜と思う。私たちがこれらの舞台に足を運ぶ多くの目的は、自担を自推しを観に行くこと。だけど観る過程で日本やアメリカのショービジネスの変遷や日本文化、戦争を含めた歴史を知るきっかけに繋がってるのも事実だと感じている。今やネットがこんなにも発展してる中で、自担を観に行くという目的があるにしても、直接劇場に足を運ぶという行為は重要なことだとも感じる。歴史も日本文化も舞台芸術も、興味がある人が居ないことには語り継がれない。私は実際A.B.C-Zを好きになってから劇場に足を運ぶことが増えたし、舞台の内容に関わる歴史や脚本家・演出家について知ることが増えた。言葉の使い方にズレはあるけど『無知の知』を知ったように思う。これを知ってしまったから多くのことを知りたいと思うけど、いかんせんエネルギーが足りないからまだまだだな〜と感じる、やっぱり戸塚さんのエネルギーの容量はすごいな〜

 

そんなこんなで今の私は"文化"を繋ぎたいな〜と思ってる。新しい"文化"を作りたいな〜とも思ってる。人が興味を持つようなこと、今あること全部"文化"ではあるけど。「過去」ばかり気にして「未来」に期待してない私が、「今」に立って「過去」と「未来」を考えようとしてるの面白いな〜と思う。

先述した通り、私は自分に自信がない。先生に手を繋いでもらわなきゃ何も出来なかった人間が、教壇に立って人にものを教えたいなんてお門違いなのかな〜とも思う。まぁでも自分が生きてきた中で幸せに見えてても幸せじゃない子どもがいる、なんて私が1番知ってるし。'将来の夢'って言われて明るい未来が想像できない子どもも、'自分史を作ってください'って言われて楽しかった思い出が書けない子どもも私は想像できる、まさに私がそれだから。そんな私でも戸塚さんをA.B.C-Zを知って、劇場に足を運んだり自分の知らないこと知ったりして「今」が楽しいな〜と思えてきてるので。緊張緊張緊張の連続で、自分に価値なんてないな〜と思うけど『僕も君に救われたんだよ だから遠慮なんていらないのさ YOU&ME』って大声で歌ってくれる自担がいるので。教採に受からないことにはどうしようもないんだけど、心が折れるまでは頑張ってみようかな〜と思ってます。

 

ツアーで戸塚さんとの心的距離が空いたって話を書いたけど、あれはテンションの問題だって話でオチをつけた。自分しか信じてない私なので、支えてくれる柱の1本である戸塚さんを信じられないって相当なもんなんだよ。高橋優が地面を作って、戸塚祥太が空を見せてくれないと1人じゃとても歩けない。こんな人間だけど人に、子どもに何かを伝えたいな〜と思う。今はまだ自分しか信じられないけど、子どもたちの信じられる場所の1つになりたいな〜と思う。"文化"や"興味"を伝えて少しでも生きてて良かったな〜、生きてるのが楽しいな〜と思える子どもが多くなれば良いなと思う。

自分のしたいことを仕事にするってことは、趣味は一旦置いておくことになるよね。常に隣で走ってくれようとするA.B.C-Zから一旦目を離してしまったら置いていかれてしまうような気がして、目の前の目標に踏み切れない気持ちも少しある。自分に余裕がある時は子どもたちに伝えたいと思えるけど、余裕がないと自分が知ることにまだまだすがりたいと思ってしまう。そしたらA.B.C-Zから目を離さずに済むし。でもそれって"肩の力を抜いた 応援"じゃないのかな〜とかね。戸塚さんも頑張ってるんだから、私も頑張るしかないんだよと今は自分を奮い立たせてる。

 

"夢は現実で、現実は夢"かぁ〜。やっぱり戸塚さんのことを読み解くのにもっと余裕を尽くしたいな〜。こんなに自分に自信がないように見せる人なのに、なんでこんなにも前向きで常にエネルギーに溢れて居られるのかな〜ってずっと不思議で、でもこうなりたい人。

優しくなりたい、ユーモアのある人になりたい、誰かを笑顔にしたり笑わせたりできる人になりたい、なんて。私が戸塚さんを好きになった時点で戸塚さんは3つとも兼ね備えてたし、だから私の理想の人間像なんだよ。こんなにこんなに他人のこと考えられる戸塚さんは本当に憧れだな〜。憧れが「遠慮なんていらない」って歌うんだったら、時には寄りかかって前に進むしかないのかな〜。

今あるものを繋ぎたいし、新しいものを生み出したい。子どもたちの居場所を作りたいし、生きてるって悪くないと思って欲しい。

戸塚さんみたいに今やるべきことが明確には言えないけど(勉強しろ!勉強!)、とりあえず自分の生活を頑張ろうかな〜と思う。

 

ねぇ、戸塚さん。戸塚さんは自分の立ってる場所を"華やかじゃない位置"なんて言うけど、そこに立つ戸塚さんを見て自分の人生頑張ろうかなと思ってるオタクがここにはいるよ!戸塚さんほど優しくて、戸塚さんほど豊かな人を私は知りません!戸塚さんみたいになりたい!!

 "Girls be ambicious!"そう歌ってくれたこと忘れないから!大志を抱く、大人しく勉強する!

 

大丈夫、僕の心は君の形をしているから。